ごめん、やっぱすき

うまく言えないけど。

ヲタ卒失敗



この記事はかなり私的な上にだらだらとした話になるので暇な人だけ読んで欲しい。

私はここまで旦那はシゲアキ♡♡♡だなんてはしゃいでおきながらシゲアキ担どころかNEWS担でもない。なくなった、という方が正しい。元の私は9年にも及ぶ期間を手越担として過ごした。2009~2010年あたりが私にとって手越担のピークだった。細かく言えば2009年のベストアーティストがピークだった。あの落ち着いた茶髪の柔らかで自然なパーマ(?)の手越は私にとって至高だった。私は落ち着いた髪色の手越が大好きだった。

ここまで語ると気付くかもしれないが手越の髪色が明るくなるに連れ、段々と手荒さが増した。貶し愛バンザイ!な私は「ああそう、この子ってば減らず口叩いておきながら本番弱いのよね〜」「ああもうまた調子こいてる腹立つ」(※褒め言葉)とことごとく「ゅぅゃ♡王子♡」みたいな若い手越担から拒否されるようなババアに成り下がっていた。

そのうち、NEWSに壮大なドラマが訪れた。エピソード大好きババアとしてはその渦に自ら巻き込まれにいっていた節があるのだが、次第に老いが訪れる。

アイドルとはなんだろう、と考え始めてしまった。私はかつて、そのキラキラした存在に憧れジャニーズ事務所という沼にハマったのだと思った。確かにエピソード大好きババアではあるのだが、リアルにババアとなり始めたために胸焼けし始めたのだった。

仕事や学校、生活に疲れたとき、アイドルには主に2通りの効果があると思う。まず一つは小山さん方式(と仮に名付ける)。

「この中でNEWSを選んでくれたから、NEWSでしか味わえない幸せ、景色を見てほしい。日々の生活で仕事だったり、学校だったり、友達関係であったり、辛いことあると思う。でも、NEWSが皆さんを支えることができたらと思います。」(2013/9/7 10周年イベントにて)

辛い時期を乗り越えた彼らが、俺らも頑張ってきたから辛い気持ちわかるよ!一緒に乗り越えていこう!というアツく気持ちのこもったメッセージである。当時ド田舎の学校でのプレゼン発表から大急ぎでドームに駆けつけた私はライブ会場でこの言葉を聞き、思わず涙した。

しかしイベントから帰りしばらくした頃、いよいよ私生活が原因でメンタルが限界を迎え始める。

リフレッシュしようと思いDVDを手にとるも、私は当時6人時代のものは見られないタイプだったので美恋コンを見た。見たことのある人はわかると思うが下手な映画よりもボロ泣き出来る代物だ。辛いことを忘れようと思ってDVDを見てるのに頭の中でNEWSの10年を振り返り気持ちが引きずられる。涙腺の緩いババアにとっては相当な体力を使う危険物のようである。

あくまで私の価値観だが、NEWSのDVDはどれもバックにあるストーリーが強く思い出され、それこそ映画のように最初から最後まで1本丸々全部見なければいけないような気分になる。途中のここだけ見たい!この曲!みたいなことが私には出来なかった。となると心身疲労の激しい涙腺崩壊ババアにはNEWSが段々重くなってきた。自分から飛び込んでいった渦に飲み込まれているのだから世話ないが、私はここでひとつ決心する。

そろそろ足を洗おう。

ちょうどその頃生活環境も大きく変わるタイミングで、何かを変えるにはいい節目だった。なにせジャニヲタというのは時間も金もかかる。ここで足を洗うのも一つの手だと考えた。

そんなわけで俗に言うヲタ卒を決めた。補足になるがヲタ卒したからといって今まで好きだったものを突然嫌いになるはずもないので、遠くから応援しているよ…というような田舎の親戚のような気持ちになった。

さて、新生活が始まった。多くの人が生活環境の変化にバタバタするように、私も慌てふためきジャニーズなど気にしていられない!というように日々を過ごしていった。ここらへんで録画したもの以外はテレビを見なくなり情報も追えていなかった。今やNEWSはどうしているのだろう、音信不通の従兄弟のような気持ちを思い出しつつあった頃、母(大野担)が録画していた音楽番組を見たのである。

画面ではピンクと赤の衣装を纏ったグループが曲を披露していた。Ride With Meとウィークエンダーを披露するHey!Say!JUMPの姿だった。(※うろ覚えのため曲は違うかも。)

元がジャニヲタなのでHey!Say!JUMPももちろん把握していたが、楽曲のポップさ、そしてそのフォーメーションダンスの美しさに驚いた。フォーメーションダンスが出来るということは一定数人数がいるということで、少人数での画面に慣れていた私(失礼)はそこにも驚いた。

とはいえこのとき私は、「ほー…こんなに人数いるんだなあ。綺麗なダンスだ。」としか思わずなんとなく曲を覚えた程度だった。

気になり始めると何故だか目につくもので、たまたま火曜日にヒルナンデスを見たら有岡君がいた。そのプードルのような姿の可愛いこと!!これで成人済の男性だというから驚きだった。ジワジワと溢れ出るHey!Say!JUMPへの興味。この頃はだいぶ生活も落ち着いていた。アイドル大好きババアが顔を出し始めた。

2015年2月。私は本屋に用があり、その日は母が駅まで迎えに来るというので帰りに寄ってもらおうと思った。ここでの母の一言が私の運命を変えたのである。

「そういえばHey!Say!JUMPがDVD出すね」

カエルの子はカエル、ともすればカエルの親もカエルである。この母親もわりと手広くやってるタイプでほぼ同時期にHey!Say!JUMPに興味を持ち始めていたのである。

しかしあれほど決意をしてヲタ卒をした身としてはDVDを買うのは大きな選択だった。けれど追い討ちをかけたのもその時の母の一言だった。

「私も少しお金出すからさ〜」

まるで悪への誘い。気付いたら私はHey!Say!JUMP LIVE TOUR 2014 smartの初回盤予約表の控えを持って帰宅していた。

2月も中盤に差し掛かり、ついに手元にはピンクが目を惹くパッケージがあった。もうここまできたら…というような気持ちで再生スイッチを押すと、そこは別世界だった。

キラキラと輝き、ステージを走り回る姿はアイドルそのものだった。

実はこのとき私は最初から見ていない。バックグラウンドなんて全く知らないのだから躊躇する必要はない、と癒されたい一心からプードル有岡を見ようと愛追い隊のOh!アイドルを選択して再生したのだ。

しかし結局そのまま最後まで再生し、なんなら一心不乱に最初から通して3回ぶっ続けで鑑賞した。

それほど面白いDVDだった。少しズレた人間のため、何故か一度再生を中断し適当なところからまた再生ということもしてみたのだがどこから見ても楽しかった。

一段落ついたときには私は心からHey!Say!JUMPの魅力にとりつかれ、疲労していたことなど忘れていた。

ここで前述のアイドルによる効果において、もう一つの効果として挙げられるのが、吹き飛ばせ!JUMPで上書き方式(本当にネーミングセンス皆無だがそう呼ばせてもらう)である。

ある意味でおじゃんぷさん方式は現実逃避とも見えるだろう。しかし私は前向きに現実を見ていた。世の中にはこんなにも輝く存在がいるのだ。ここまで輝く彼らを見続けたい。そのためには私は現状を打破せねば。まさに 生きねば。とでもいうように私は現実を見つめはじめた。

それから帰宅して作業を終えれば毎日DVDを見た。なんなら休日は文字通り朝から晩まで見た。

照明の使い方、可動モニタの動き、モニターの映像、衣装チェンジのタイミングと全てが無駄なく綺麗だった。

なによりも、全体曲でのフォーメーションダンス、7とBESTでのコーナー、さらに3人ずつのユニット…というバリエーションの多さにやられた。これは強みがありすぎる…

最初から最後まで流れるように、ショーとしてエンターテインメントとして楽しめる、と感じた。

え!?ここでジャケット着てるの!?そういう繋ぎ方で次行けちゃうの!?という感じで、間延びがないのが仕事大好き人間の私好みでどハマりしてしまった。気持ち悪いヲタクの完成だった。

そのような具合で、気付けばアイドル断ちしていた期間はわずか1年弱。休憩程度のものだった。

そして5日後、私はついに奇跡を目の当たりにするのである。

が、長くなったのでそれはまた別のエントリーで話そうと思う。こんなだらだらしていてクソどうでもいい記事を最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。そしてクソどうでもいいのにもったいぶってすいません。

Undress

もういっそお気に入り全てについてまとめておこうと思ったので今回はUndressについて書こうと思う。今回もぼや〜っとネタバレがあると思うので嫌な人は自己防衛をお願いしたい。

私的な話をすると私は生きる上で何より大切なのは仕事だと思っていて、「仕事と私、どっちが大事なの?」と訊いてくるような女性とは一生分かり合えないと思う。何かのインタビューの、そのような質問をされたときどうするか(どう思うか)という問いに対して加藤シゲアキさんは「そんな質問をされた時点でちょっと…」と答えていたと思うのでそこに関してはシゲアキに完全同意。結婚して欲しい。

さて、ここで本題に戻る。つまり私は仕事大好き人間でなんだかんだ会社の犬のような性格なのでこの話は衝撃的だった。憧れた。溢れ出る野心を隠して社内で能力を発揮する人間から発せられた、会社の犬になんかなるなよ、という言葉は私の興味をひくには十分だった。

真面目な勤務態度、自分を慕う後輩、従順な恋人。こういう人のパーソナルスペースに入るのは難しい。公私における公の割合が大きい人、というのは基本的に利害が関わらないと仕事仲間(相手)から交友関係という枠組みに入るのも難しいのではないかと思う。だからこそ一旦パーソナルスペースに入れた人間には甘くなる。今回のお話はそれが全てかなあ…一旦信頼出来ると思うとチェックが甘くなる。けどそれが人間らしいというか。

中盤からの大どんでん返し、本当に楽しかった…ボキャ貧のため本当に楽しかった、としか表現出来ない自分が歯がゆい。短編だからこそのこの疾走感。凄まじいスピードで回収されていく伏線。終盤に差し掛かり、読者のだれもが黒幕を把握した頃に鳴る携帯電話。これから先のことを予見した私達読者は結末に向かうその一本の電話を、下世話な好奇心を持ちつつ冷静を装いながら読みすすめたのではないかと思う。他人の不幸は蜜の味、とはよく言ったもので知りたくてたまらないという気持ちに支配される。

こんな綺麗な脱サラ起こりっこない、なんて思いつつも、心のどこかで成功してほしい。成功する世界であって欲しい。とも願っていた。ある種の憧れでもあった。自分は自分の為に働いていて、自分こそがこの会社の軸である。そう感じながら会社を去る姿は主人公にとって自己肯定感を得る上で限りない喜びだったと思う。信頼していた相手に手のひらを返され転落したあと、あれほど軽視していた相手に手を差し伸べられる惨めな気持ちを想像するとこれまた加藤シゲアキの残虐さが感じられてゾクゾクする。

序盤に、パーソナルスペースの話をしたと思うが、その甘さこそがこの人の人間たる所以なのだろうなと感じずにはいられなかった。完璧を演じながらも詰めの甘さが命取りになった。その甘さが、最後には愛おしくてたまらなくなった。私は人が好きだ、と思った。一歩ひいてみる人間がこんなに楽しいのなら、読者をそんな気持ちに支配出来る加藤シゲアキはよほど楽しいと思う。

加藤シゲアキになりたい。

インターセプト

傘を持たない蟻たちはに収録されている6編のうち私が特に気に入ったものが3つある。インターセプト、Undress、染色の3つ。今回はインターセプトについて感じたことを、忘れないうちに残しておこうと思う。わりとネタバレも含まれると思うので嫌だという人には閲覧しないでほしい。






キックオフ、と記されて始まった前半。勝ち気な性格、管理職としての地位、ステータス重視。小説の中において私はそんな人物が出てくると浅はかに期待する。あ、この人堕ちるな、とすぐに感じてしまう。それは小説を読む人は簡単に分かってしまうだろうし文章を読み慣れていなくても話の展開としてそんな性格の人が最後まで一人勝ち状態で進むことは少ないだろうからぼんやりとそんな気は感じると思う。私は特に転落していく過程がどれだけ緻密か期待してしまう。そんなわけで期待して読み始めた。

目の前に現れたのはまたも自信家で自分の武器を分かっている女。行動心理学で得た知識をフルに発揮してモノにしていこうとする男。すごく楽しかった。さらりとかわされることにすら興味をそそられるあたりではつい相手の女のような高飛車な態度がうつってしまい、その単純さにクスッとせずにはいられなかった。

そうして前半終了間際。女のペースに乗せられがちだった男が最後の最後でまたも行動心理学を駆使し自分のペースに持ち直す。しかし前半が終了したときには私の中にどろりとした、濡れた服が肌にまとわりつくような気持ち悪さが生まれていた。

後半部分にはターンオーバー、となり視点は女の側へ。得体のしれない不安が明確な恐怖に上書きされる度に加藤シゲアキという作家自身の歪みに感動せずにはいられない。知らないあいだにその女(および加藤シゲアキの描くその女)の手のひらで転がされていたことを知った時には私はもう嬉しくてたまらなかった。なんてひねくれた純粋さだろう!真っ直ぐで素直なその狂気!そんな愛おしくて恐ろしい女を加藤シゲアキが生み出したと思えば思うほど私は嬉しくてたまらなかった。そして同時に彼がアイドルと小説家を両立することを賞賛し受け入れることの出来る時代に生まれたことを感謝した。

まさに相手の強み、パスを奪うといういった展開に、あらためて彼の野生的で真っ直ぐな感性が好きだと思った。特にヲタクにとっては逃げられないような作品だと思う。是非読んでいただいて、真っ直ぐな狂気を感じて居心地の悪さを感じて欲しいと思う!!

傘を持たない蟻たちは

愛する旦那様加藤シゲアキさんの第4作、読みました!

正直事前にインタビュー等あまり見ていなかったのでサラッと手にとった人のような立ち位置で読みました。

第一印象としては、「なんて歪んだ人なんだろう」って感じ。褒め言葉としてのそんな感じ。こんな歪んだ人間観を描ける人がアイドルやってるなんて興奮する。そこらの若いキャピキャピした子が加藤シゲアキを知って間もなくこれを読んだとしたら間違いなく若干引く(笑)

「生と性」を掲げた短編たちはどれも嫌悪だとか焦燥だとか依存、そんな他人に晒したくない部分と隣り合わせで描写がされていて、「シゲアキってこんなこと考えてるんだ〜〜〜〜♡♡♡」なんてテンションで読むのは不可能だと思う。いい意味で嫌な小説だった。誰もが逃げられないようなテーマを掲げて歪んだ世界を突きつけられる感覚、私は嫌いじゃないです(笑)むしろここまで溺れて死にそうな世界を描いておきながら過去の自分に「世界はお前に優しいよ」だなんて言葉をかけようとする(※Myojo 1万字インタビュー)シゲアキ自身の歪み(ひずみ)が私は大好きです。

短編なので特に気に入ったものについても話したいけれど感情の爆発が整理できてないのでまた落ち着いてからまとめようと思う。